2015年5月31日

加子母村の中島工務店さんを訪ねました

Filed under: 見聞録 — FPBUN @ 7:13 PM
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 中小企業家同友会の5月地区例会は、マイクロバスをチャーターし、中津川市加子母にある株式会社中島公務店さんを訪問した。報告者は社長の中島紀于(のりお)さん。国道まで出て、私たちのバスを待っていてくれ、案内して走った。71歳とは思えない元気さだ。
 工場の2階会議室に通される。机もいすも木製。説明はなかったが、加子母村の木でできているに違いない。先に解説しておくと、中島工務店のビジネスモデルは全国でも数少ない、林業・製材業・建築業が同一地域内で完結する「完結型林業」。加子母の木と加子母の職人で「東濃ヒノキの家」を一棟丸ごと、全国どこでも行って建ててしまうのである。「産直住宅」である。中島社長のお話が始まる。
 「加子母村は3000人の村だったが、10年前中津川市に併合されて83000人の市になった。市の北の外れで、電気がやっと来たところ、日本語がようやくしゃべれるようになったところだ」、とユーモアたっぷりのお話である。
 中島社長は加子母村で生まれ、「昭和38年に岐阜工業高校土木科を卒業し故郷に帰ったら父が大手術をして弱っていた。食うために土建屋を始めた。以来ずっと建設業を続けている。父も一緒にやっていたが昭和43年に49歳で急逝、その後会社組織にして続けている。
 「もともと土方が建築をやるようになって家造りもしている。主に木材を使った仕事を関東・関西・中部でやっている。村の95%は山だ。ヒノキ、スギは雑木を炭にしてから植えた。アカマツ、モミは自生だ。クリ、コウヤマキ、ネズコ、サワラもある。たくさん取れる木材を全国へ建材として売っている。美濃の特産物である東濃ヒノキだけでなく、美濃和紙・飛騨家具も使っている。名古屋インターまでは1時間半で行けるから、名古屋も地元だ。国・県・市の仕事、東濃ヒノキの家造りの他、寺、宮を造る。長久手では平成こども塾を造った。特によい木材は社寺に回す。岐阜では可児にも事務所があるし、東京・大阪・神戸にも拠点があり、各地にモデルハウスを建てている。東京は新木場駅前にモデルハウスを造った。目の前に日立ソリューションという2万人の従業員を持つ会社があるから、1棟3000万円の売上として勘定すると楽しくなってくるが、実は景気は大変厳しい。」
 「木の家造りを徹底的にやる。1日1棟売れば100億の木造建築ができる。そうすると15億の木材が売れ、この辺の材木屋は皆食える。それが国土を守ることになる。木造の家の価値を理解してもらいたい。」
 「日本には林野庁、林業行政はないなとつくづく思う。TPPから木材は最初から外れている。しかしつぶれても何でもやっていかなければならない宿命がある。ここでやっているのは製材、乾燥、プリカットだ。この地域の木材で家造りする。『完結型林業』だ。200年、300年、400年と長持ちする家を造るのだから、会社がつぶれないようにしないといけない。」
 ところで「木造建築は日本の大学の教科にない。だから大学生が加子母に勉強に来る。毎年300人くらい来て、木造建築を実践する。昔東大の安藤直人先生の勉強会が毎週火曜の夜7時からあって東京に通ったことがあるが、学生たちは頭はいいかもしれないけど、娑婆のことを知らんなと思った。口で壁は塗れん、木は切れん、穴は掘れん。頭だけではだめ、手でやることを覚えよ。いい大学を出ても何の価値もない。こういう考えでやっていくと日本はつぶれてしまう。加子母のことを知らん木造建築家はもぐりだ。安藤忠雄も唯一の木造建築を加子母に建てている。これを20年やっているから、学生が大学院を出て加子母に帰ってくる。星は降るほどだし、そこらの水飲んでも腹痛くならん、トマトが食べたきゃ『これ熟れすぎとらん』と言ってみればもってけと言われる、そういう村民性が彼らを呼ぶようだ。」
 「考えるのは、これからどういうふうにやっていくのか、この広い山に植えた木で加子母村はどうやって存在していこうかということだけだ。綱渡りの商売やって、貧乏こいて、50年やって思うことは、とにかく儲からんが、会社をどうしていこうとか、金儲けのことではない。木材だけでなく、鉄骨工場や浚渫の事業も引き取った。工事は何でも内部でできる。ここから、日本中、世界中へ加子母の木材を持って行って木の家造りをする。」
 「共同店舗も引き取った。食品はプラスになるが、本とか靴とかは赤字だ。3000人、つまりマンション1棟分しか住民がいないところになぜスーパーを造ったかといえば、都会で結婚して嫁を連れて帰ってきた者のためだ。バローにお願いしたら「いやや」と言われたからだ。戻ってくる者のうちには出戻りの女性がいる。彼女たちがパートで働く場にもなる。加子母には嫁のいない者もいるからそのうち一緒になる。そういうのも仕事の一環だと思う。NPO加子母むらづくり協議会は会員が900人だ。都会で良いDNAを拾って子をなし、別れて戻ってきた女性と、へにすい(名古屋弁だと「にっすい」)けどまじめに一生懸命やるやつが一緒になる。このコミュニティをどうやって楽しくやっていくかが課題だ。村内には飲み食いする店舗が38もある。板東英二や石原良純が営業マンだ。本格的なフランス料理もあるし、うなぎ屋もある。」
「会社はいま社員が350人で、この地域が8割だ。協力者は700人いる。加子母は112平方キロメートルの土地だが、人が住んでいるのでうまくいく。住んでいなければ濃尾平野は水浸しだ。この地域で商売を傾かんように、あんまりもうからんように、長続きさせたい。やっぱり仕事は人生の6~7割あるから、仕事に人生をかけられるような会社にしなくてはならない。この地域に住み続けてこの地域の世話をし続けていかないかんな。うちから会社までは2.5キロある。寒いから、歩いてこれる日はいくらもない。『コンパクトシティ』といって老人を駅の周りに集める構想があるが、3年やったらこのあたりは終わりになる。」加子母の自然を守ることは自分たちのためだけではなく下流の人たちの暮らしにも影響する、そういうスタンスなのだ。
 「このままだと戦争になる。まともな野党がいればいいが。日本を何とかしようと思うような教育をしないかんよ。加子母を何とかしようと思うような。」と、政治についてもコメントをくださった。
 1時間お話しになって、質疑応答の時間。
「外材と東濃ヒノキの違いは?」「ヒノキは強くていい香り、サワラは優しい香りがする。外材は、ヒバ以外は匂わない。規制されて、もう、いい木は切れないから入ってこない。今入る木は松かモミだ。モミはファーというが早く腐るから日本では卒塔婆に使う。」
「71歳からの社長のビジョンは?」「まだ71歳なので、80歳まではやりたい。よくやって30年だが、5年ピッチで考える。75歳の時にナンバー2たちが65歳になるからそのときにひっこむかも。この辺は80台は皆現役で農業をやっている。90歳でゲートボール、100歳でやっと死ぬ。こういう世界にしないと日本はやっていけない。うちでも65歳定年、70歳まで継続雇用にしている。みんな死ぬまで働く。医者にいっとる暇もない。」
 
 続いてグループ討論を行い、会場を移動して「天照庵」で天ぷらそばを賞味、戻ってプレカット工場、ヘビーティンバー工場、グルーラム工場、乾燥機を1時間半ほど見学の後、木の何でも市、コンクリート工場、かしも産直市・木端市、販売中の「籠藪の家」を見学し、中島社長とお別れした。たくさんの資料、パンフレット、カレンダー、ヒノキのボウルやターナーセットなど、お土産もどっさりいただいた。カレンダーの一つは「かしもの四季」というタイトルで、中島社長の撮った植物の写真に一言ずつコメントがついている。そしていずれにも「地球に生きる。自然に生きる。加子母に生きる。」と言う理念が表明されている。中島社長の考える加子母の存在意義と、加子母の自然・暮らしを愛する気持ちが集約された言葉である。中島社長に、私が登山が趣味である旨話したら、ぜひ小秀山を登りにおいで、年に4回登る日があるからと誘われている。今度は山で社長に会いたい気がしている。→かしも山歩倶楽部

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2015年2月12日

「なに・なぜ・さてどうしよう」がわかるセミナー!

Filed under: お知らせ — 社会保険労務士法人びいずろうむ @ 11:15 PM

終了しました

3月20日セミナー_01s

クリックでPDFが表示されます

労働安全衛生法改正による 『ストレスチェック制度』義務化に向けて

このようなお悩みはありませんか?

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詳しくはセミナーで!

3月20日(金)14 : 00~16 : 30

名古屋都市センター 第2会議室

2014年2月25日

実践型リーダーシップ研修(2014.03.18)【終了しました】

Filed under: お知らせ — 社会保険労務士法人びいずろうむ @ 9:55 AM

「管理職にリーダーシップを発揮してもらいたい」
「社外の管理職研修に行かせたがあまり変化がない」

・・・このようなことでお悩みの中小企業様にご提案します。

a0002_000166「実戦型リーダーシップ研修」は、部下育成に必要な8つのコミュニケーションスキルを習得するプログラムです。
「講義を聞いて終わり」「練習をして終わり」ではなく、
徹底的な「ケーススタディー」や「ロールプレイング」を通して研修直後から「使えるように」します。

今回の特別研修では、後半で実際のテキストを用いた「褒める」スキルのトレーニングをダイジェストでご体験いただきます。

<対象者>

・中小企業の幹部の方
・教育担当の方
・部下をお持ちの方
・「褒める」スキルを学んでみたい方

<研修内容>

1.管理職に求められる能力
2.人のマネジメント・他者協働
・傾聴・質問・コンプリメント・褒め方・叱り方・部下とのコミュニケーション
3.「実戦型リーダーシップ研修」とは
4.「褒める」スキル(体験版)
・目的・ゴール・褒める上で必要なスタンス・褒めるスキル①~⑤
※内容は一部変更になる場合があります。

主催:びいず社労士FP事務所
講師:社会保険労務士 佐藤 文子

 

<日時・会場>

日時:2014年3月18日(火) 14:00~17:00

会場:法研中部ビル8F  ※地下鉄桜通線久屋大通駅下車 徒歩3分

【お問い合わせ】
セミナーお申込は
TEL:052-881-0404
FAX 052-881-0440

<申し込み方法>

・このページで「参加予定」を押してくださるか、下記リンクよりチラシを印刷してFAXしてください。

20140318seminarpdf
https://www.b-z.jp/main/wp-content/uploads/20140318seminar.pdf

2013年4月27日

南三陸町訪問

Filed under: 見聞録 — @ 10:59 PM

4月18日、南三陸町に行ってきました。
仙台駅を11時半に出発です。
私たちのバスには仙台の語り部伊藤さんと、仙台放送の方が同乗してくださいました。
まずはお弁当。

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朝がっつり食べたので、全部は食べられません。ちょっと味が濃いように思いましたが、酒豪の多い東北だからでしょうか。
仙台東ICから有料道路に乗ります。この道路から海側は津波の被害が大きかったけれど、山側は道路が堤防になって助かった、というお話を聞きます。

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また、仙台放送さんが制作した防災DVDで津波の映像を見ながら走っていきます。

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道中、桜が頃合いで綺麗だったのですが、いい写真がありません。
桃生津山ICで三陸道を下りて北上川に出会います。

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湖のような水の色が不思議でした。
道の駅津山でちょっと休憩ですが、ミゾレが落ちてきました。寒いこと!
ここからは国道45号線を行きます。やがて戸倉で南三陸町に入ります。国道と並行して走る気仙沼線は津波にさらわれて線路がありません。

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左手の小さな橋は鉄道の橋です。山の斜面は木を伐採中です。

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折立川の河口の水門です。脇の小屋は傾いたままです。
この先山の迫った海岸沿いを走り、罹災しなかった海辺のホテル観洋を過ぎ、平地に下りてくると志津川の市街地です。
この記事を書きながら見つけた震災前の街並みはこんなふうでした。

私たちとは逆方向ですが、同じ場所も走っています。
私が見た景色はこんなふうでした。

がれきが片付けられて遠くまで見えるので、むしろ何もなくなった感が増しているかもしれません。
防災対策庁舎で下ります。

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3階建ての屋上を津波が越え、30人の職員のうち10人しか残らなかったといいます。2階の放送室でギリギリまで避難を呼びかけていた遠藤未希さんのエピソードが胸を打ちます。
防災対策庁舎の悲劇
周囲を歩いてみます。

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基礎や階段だけが残った建物。去年の夏までは向こうに志津川病院もあったのでしょうが、それも解体されて、なにもありません。

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よじれた標識のポールと思われるもの。

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津波が駆け上った八幡川。
南三陸町では海から3キロも離れた奥まで津波が達していますが、川に沿って津波が押し寄せています。高台の志津川中学校で撮ったという動画を見ると、その様子がよくわかります。

街の大枠のデザインが決まらないと市街地の復興はあり得ないわけでしょうが、商業施設は動き始めていました。

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仮設ファミリーマート。小さな店舗でした。奥の高台の家が無傷なのが印象的です。

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ガソリンスタンドはまっ先に復旧したのでしょう。

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建設中のドラッグストア。
私たちはバスが代替運行しているJR志津川駅の横にある「南三陸さんさん商店街」を尋ねました。

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私はこの魚屋さんに入ってみました。

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店の前に、毛ガニより安くておいしいという「くりがに」がうごめいていました。

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店内では蒸し牡蠣が1個100円。

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100円のために何個も開けてみていいのをくれました。残りは自家消費するのかしら。海水の味でしょうか、ぷっくりとした実にほどよい塩味がついていました。
帰りは国道398号線経由です。

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急ピッチで道路を造っているようでした。
仙台から南三陸まで2時間ちょっとかかるので、ほとんど往復しただけのような訪問でしたが、ようやくこの目で被災地を見ることができました。共感のベースにあるのは体験です。体験が共感を裏付けるといってもいいかもしれません。遅いかもしれないけど、見ないといけない、ずっとそう思ってきました。何もなくなった町で暮らす子どもたち、子どもたちに元気をもらう現地の大人たち、遠くから支援に出かける大人たち・・・多くの人の思いに触れた気がします。
帰り道で復旧工事とは明らかに違う、発掘現場を発見。

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縄文遺跡でしょうか。

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仙台空港には17時過ぎに到着。空いています。ゆっくりビールを飲んでしてフライトを待ちました。近いうちにまた来るね。

38th SPC in 仙台

Filed under: 保険なんでも,見聞録 — @ 2:23 PM

ソニー生命のSPC(ソニー・パートナーズ・コンベンション)に行ってきました。パートナーとは、代理店のこと。年2回、一定成績を収めた代理店の従業員が出席するイベントです。今回は仙台開催ということもあり、手を挙げて行かせてもらいました。

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行きは新幹線を選びました。実は私、赤羽根駅(東京都)より北の電車に乗るのは初めてです。

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iPadでどこを走っているか確認しながら車窓を楽しみます。携帯電話で位置登録ゲームもやっているのでなかなか忙しいです(汗)
関東平野を走っているうちはゆっくりの「はやて」も、山が見えだしてからは速く、あっという間に仙台到着。

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会場のホテルメトロポリタン仙台です。昔の仲間との再会を喜ぶうち、式場に案内されます。今回は保険料率改訂前の駆け込み需要もあり、過去最高の415店のパートナーが招待されています。そのため一度に同じスケジュールを組むことができず、2つのチームに日程を分け、その中でさらに入れ替え制にしての開催です。不便ではあっても震災以来「いつか東北でSPCをやりたい」という会社と代理店の願いが、今回かないました。

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部屋が横長のため、中央ステージの左右にスクリーンを配した演出です。

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オープニングでは震災の映像が流れた後、今回のSPCのテーマである「Change for Tomorrow 踏み出す一歩が、チカラに変わる。」が映し出されました。その後、ソニー生命の幹部の方々からのご挨拶をいただきました。
しばし休憩の後、セレクタブルセミナーです。私は、震災後石巻で漁師の会社「OHガッツ」を立ち上げた、立花貴さんの講演を選びました。立花さんは東京で商社勤めの後独立して食品会社を営んでいましたが、震災後地元に戻り、そのままボランティアから始まって復興支援団体を次々と立ち上げられている方です。
詳細は先日の記事に書きましたので、そちらをご覧ください。→「心が喜ぶ働き方を見つけよう
子どもたちの太鼓の音は皆の心を揺さぶりました。
セミナーの後は表彰式です。SPC初参加のパートナーから始まって全員がステージに上がります。私たちは21回めの受賞なのでずいぶん後の方です。

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登壇前のワンショットです。このあと赤いカーペットの上を歩き、登壇してソニー生命の社長から盾をもらい、記念撮影しました。
お腹も空いた頃、パーティーが始まります。

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地元食材のフルコースをいただきながら、津軽三味線の演奏も楽しみました。

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宴は続き、ホテル内での2次会です。地元在住の仲間を呼んで歓談は続きます。

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厚くて柔らかい牛タンには、やっぱり日本酒です。2次会に冷酒を用意してくれているのもうれしいところです。
名残惜しいですが宿泊ホテルに移動。今回は人数が多いので3つのホテルに分宿となっており、私たちはウェスティンホテル仙台です。歩いていこうとしましたが冷たい雨が降ってきてタクシーで移動します。

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13階の素敵な部屋です。バスルームもガラス張りです。

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朝のバスルームからの眺めです。左の緑は青葉山でしょうか。またゆっくり来てみたいものです。
たっぷりの朝食を摂って、バスで再びメトロポリタンへ。中央分離帯に白木蓮が植えてあって、満開でした。
フェアウェル・セッションです。SCSミュージカル研究所の廣瀬純さんのお話を聞きます。震災当日の仙台市内の状況、気がつけば被災地支援コーディネータとして双方に顔が見える仲介者となっていたこと、その中で南三陸町へミュージカルの出前をしたこと、などを画像を交えて伺いました。南三陸町は津波で甚大な被害を受けたところですから、簡易トイレまで持参する「完結型」の出前を目指したそうです。支援のうちに廣瀬さんが気づいたことは、子どもたちが元気になると周囲の大人も元気になるということでした。子どもの笑顔が復興のチカラになるのです。後生のために・・・私たちの見ることのない未来を見る子どもたちのために。
締めくくりにはソニー生命のパートナーズミッションを唱和しました。
 お互いに助け合って、生活を守りあうという
 相互扶助の精神に根ざした生命保険は、
 まさに「聖業」である。
 生命保険という「聖業」に携わる私たちは、
 合理的な生命保険と質の高いサービスを
 提供することによって、
 お客様の経済的保障と安定を図らねばならない。
 
 私たちは、いかなる時も、
 この使命と真正面から向き合いながら、
 正々堂々、高い志を貫き続け、
 生命保険のあるべき姿に向けて努力していく。
 そして、これまでも、これからも、
 生命保険の本質を深く理解し、
 人々に貢献する誇りとともに、 
 お客様との「遠い約束」を果たしていく。
このあと希望者は3つに分かれて被災地応援訪問に出発しました。
 

2013年4月21日

心が喜ぶ働き方を見つけよう

Filed under: キャリア — @ 9:35 PM

 仙台で立花貴さんの講演を聴いた。以下その概略である。キャリアを頭で考えるのでなくて、感じるままに動いたら心が本当に求めているものが見つかる。きっとそのとおりだ。今のように変化の早い時代、直線的なキャリアを描いてもうまくいかないことが多い。震災を通して生き方が変わった立花さんのお話に感動した。
 立花さんは仙台出身、就職は東京で伊藤忠商事に入る。彼の大学生時代、就職活動前に書いた35カ年計画つまりキャリアプラン。10年会社勤めして起業、後の25年は世の中の役に立つ仕事を4つして、59歳の時にはこうなっている・・・仕事の地位、家族、やりがい・・・未来像を文章にしていた。彼は事実伊藤忠商事を10年で辞めて起業し10年、計画に沿って進んでいるように見えた。しかし彼自身は違和感を感じていた。そんなときに東日本大震災が起こった。彼は母と妹の安否を確かめるためすぐに実家に帰った。そこは津波危険エリアで行政が立ち入らない区域であった。ゆえに水や食料がこない。すぐに東京に帰るつもりが、ボランティアなどしたこともなかったが、居残って炊き出しをはじめた。
 石巻市は人口4300人であったが震災後1300人になった。雄勝地区は3階建ての雄勝中学校を津波が超えたところである。3月11日のその日は卒業式で、午後は生徒は学校に残っていなかった。津波がきたら山に登れとの教えを守って、生徒51人は奇跡的に無事だった。ただ、多くが孤児となり、2年たった今でも20kmも離れた高校を間借りして授業を行っているという。
 そんな雄勝中学を応援してほしいと、立花氏は要請される。雄勝中学の校長だった佐藤氏はちりぢりの仮設住宅にいる在校生を8日間かけて安否確認した人物だが、彼が立花氏に中学生の給食を頼んだのだ。立花氏は「覚悟を決めた」その姿に打たれて、半壊状態だった実家で奇跡的に無事だった台所を使い、毎日100食を片道2時間半かけて届け始めた。
 雄勝中学にはほかにも応援団があった。元リクルートの藤原校長、林真理子氏、黒木瞳氏・・・物資の支援だけでは足りない、心の支援ということで専門的な授業を夏期講習としてやってくれた。子供たちの中に、何かに答えたいという心が芽生え始めてきたように見えた。そんなころ、「復興輪太鼓」を始めた。もともとやっていた和太鼓は学校もろとも流された。今あるもの・・・流されてきた車の古タイヤ・・・それにビニルテープを張って太鼓にした。講演時の映像ではないが、こんな音だ。

古タイヤだから本物の太鼓の音ではない、古タイヤの音しか出ない。しかし生徒たちのたたくその音は、悲しみ、怒り、希望、感謝・・・すべての思いがこもった音だ。それが周囲の心を揺さぶった。復興輪太鼓の響きは広がっていった。2011年東京駅リニューアル式典・・・もともと東京駅の屋根に使われていたスレートは雄勝の石だった・・・、その式典で太鼓をたたいた。聞いていたドイツ大使館の外交官の計らいで、2012年3月ベルリン公演。このときの模様はサッカーの長谷部選手のブログにも書かれている。インタビューに答えた中学一年生の言葉が実に堂々としていて、「たくましく生きる」というイベントのテーマと重なって見えた。
 雄勝の子どもたちは、立花氏が代表理事を務める公益社団法人sweet treat 311の支援も受けている。子どもたちが、自身の手で未来を描ける日まで、支援していく。
また震災の遺児や孤児は祖母が見ていることが多い。お金の援助は来ても足りない部分がある。子どもたちの夢に対して個別に対応することが必要と感じて、やはり立花氏が常任理事を務める3.11震災孤児遺児文化スポーツ支援機構ではエンジェルの募集なども行っている。
立花氏はこのような「子供たちの未来」ともう一つ「産業」を被災地復興のために掲げている。そのために地元の漁師と立ち上げたのが「オーガッツ」という会社。消費者とともに「食を紡いでいく」ような仕事が目標だ。
2011年8月に立ち上げ2012年6月、第一期の決算を迎えた「オーガッツ」。主な商品は、牡蛎、帆立、海鞘、銀鮭だ。「そだての住人」という予約販売システムを取る。
 立花氏はその決算発表の前にこれまでの壁新聞を社員に見せて振り返った。それは、国の復興予算が全く回ってこない民間企業の叫びでもあった。被災地の漁業には手厚い保証がある。漁具購入費の3分の2は公費助成だし、不漁の年は過去の漁獲高の9割保証もある。漁師の捕った魚はすべて漁協を通じて買い上げ、それが国の補助につながるという金の流れだ。しかし個人の漁師には手厚い保障があっても、このスキームにはまらないそれ以外は切り捨て。立花氏は違和感を感じていた。1円でもいいから黒字にしたかった。
音楽プロデューサー小林武史の設立したap bank は、市民やNPO団体、法人による、自然エネルギーへの取り組みや環境保全など、新しい未来作りのためのアイデアや活動、プロジェクトに対し、「融資」という方法で支援している団体だが、その資金調達のためap bank fesを開催している。 2012年は復興支援のため、つま恋、淡路、みちのくの3カ所開催となった。つま恋でオーガッツは帆立千個、牡蛎五百個を売った。シンプルに焼いただけのものだ。純粋においしいことを目指している。
 わかめは春先のものをさっと湯通しすると鮮やかな緑になり、磯の香りもしておいしいのだが、これを「わかめしゃぶしゃぶ」としてIT企業の社員食堂に売りこんだ。イベント期間中のみ食べられるメニューとしてである。わかめは塩蔵にするのが一般的だが、消費者の口に入るまで中間業者を通る。採りたてを直で卸すことにより消費者から見れば同じ価格でも生産者からは6~8倍で売れることになる。
銀鮭や帆立もそのままではなく、産地で味噌漬けにして付加価値をつけることで収益を出す。付加価値の大きさは結果として雇用創出になる。
 結果、第一期は143,000円の黒字。二期目は社員も増えたがなんとか1円でも黒字を目指したいとがんばる。
震災後、目の前のことだけをやってきたら、「59歳の時のなりたい自分」と今やっていることがつながった。まるで目の前をワープしたかのように。短期間で何度も火葬場に行ったせいもある。親友も失った。拾った骨を骨壺に収め、隙間に残りの灰を収めた後ふたを押しつけるとがしがしっと音を立てて骨が砕けて小さく収まる。人間は本当にあっけない。ならば思ったままに動いてみようと思うようになった。
 東京から雄勝までは500キロ。立花氏は7人乗りのワンボックスで6時間かけて、2年で230往復し、のべ1000人を雄勝に運んだ。その間100社に人材を貸してもらおうと依頼し、2名の出向を受けた。「何かできることがあったら言ってください」という会社からは出てこない。自分事になっていない。
雄勝に運んだ千人のうちの100人は入庁1年ぐらいの霞ヶ関の若手官僚だ。雄勝で廃校を再生するプロジェクトを行った(海と山の学校)が、それも彼らの活動であった。支援活動に参加すると1日2日で元気になる。それは「生き方の本質に触れる」ことと「感謝心が増す」ためだという。
雄勝は震災前から高齢化、過疎化、少子化、産業衰退の町である。金のばらまきではなく、一つ一つの小さな事例の積み重ねが日本を大きく変える。雄勝の取り組みは日本の未来に取り組むことだ。雄勝の廃校プロジェクトで活躍した若手官僚は、民間でも「イケている」人材だ。現場感がある。こういう人材が育つ15年後、日本は変わるはずだ。
 すべてを失って何も持たなくなった人間の内側からわき出てくるエネルギーに突き動かされて動く。そのエネルギーに触れて、自分もエネルギーをチャージする。頭で考えるよりも心が喜ぶ働き方、それが人生を変え、日本を変えていく。
 最後に一言として、立花さんはこう語った。毎日当たり前のことにちゃんと感謝する。その意味で「台湾ありがとう」のCFを紹介してくれた。



心が喜ぶ働き方を見つけよう
大和書房
立花 貴

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2012年11月20日

10月22日、山田製作所さんを見学しました

Filed under: 人材育成,労使関係 — @ 10:45 PM

昨年、JILPTの主任研究員王学珠先生の「労使コミュニケーション」の研究報告を聞いて以来、ずっとこの目で見たいと思っていた会社に、先日行ってきた。大阪府大東市にある株式会社山田製作所である。
山田製作所は従業員十数名の町工場である。特別な技術を持っているわけでもない、スペック的には平凡な町工場が、のべ2300社もの見学者を集めている。その訳は、徹底した3Sと、そこから生まれた「共育」という企業文化である。
見学者の集合時刻は朝7;40だ。我々は京橋に前泊し、7時前の電車で向かった。鴻池新田駅。住宅と工場の混じる 下町っぽい界隈に同社はある。東工場、中工場、西工場の3つの建屋をぶち抜いた構造の工場である。同社は昭和34年に当時24歳の現在の社長の父山田氏が創業したもので、昭和11年生まれの私の父の創業期と重なる。私の父が母のボーナスで買った中古の旋盤から始めたのと同じく、山田会長も機械一つで始め、昭和の高度経済成長で工場を拡大し、その後のオイルショックやバブルやらを経験して来たのだと思う。そして長男が後を引き継ぎ、素晴らしい工場にした。・・・父が他界し、それでも工場はほそぼそと動いているうちの実家とは大違いだが、ついストーリーを重ね合わせてしまう。
さて、話を戻そう。私たちはずいぶん早くに着いてしまったが、入り口には歓迎の社名が書かれ、3階の事務所に上がっていくと、社長自ら会議室の椅子をセットしていらっしゃった。そこに荷物を置いてまた下に降りる。
社長の説明が始まる。集合時刻が早いのは、朝礼前にその見所を伝えるためだったのだ。
7;55から清掃が始まる。工場を21ブロックに分けてあり、3組かける7日で全体の清掃が終わる仕組みだ。朝礼時の清掃は「スミッコ掃除」。作業周りの掃除はその都度しているので朝礼時の清掃は隅っこなのだ。
掃除の後、朝礼、社員による工場案内を見る。その様子はムービーでどうぞ。

会議室での社長のお話は、3Sの考え方から始まって、前社長や古参社員との確執、そして3Sの真の目的になった「守ることを決めて、決めたことを守る」という企業文化に至った。社長の言うとおり、「徹底した3S活動を追求して、人が変化し、会社が変わるのを体現してきた事により、企業経営の本質に気付き、 社員と共に歩み学び教育(共育)の企業文化を創る事を日々本気で取組」んでいるのである。
  スローガン 「まずやる」「全員でやる」「例外は作らない」「理屈は言わない」
         「できない理由を言わない」「率先垂範」「忙しくても止めない」「仕事を止める勇気を持つ」
決めたことを守らないのは、実は従業員ではなくてトップである。納期が迫っているから今日は掃除なし、などという例外はトップが作ってしまう。つなぎの背中の「Decide to do, keep we decided」という文字は、誰のを見ても真っ白だった。 
見学をおすすめする。山田製作所のHPはこちら

専門家がやさしく教える 税務・労務の勘所セミナー

Filed under: お知らせ — 社会保険労務士法人びいずろうむ @ 5:03 PM

会社の税務・労務、「カイゼン」が必要と感じていませんか? 

このセミナーでは、税務署や年金事務所が教えてくれない税務・労務のツボを、それぞれの専門家がわかりやすく解説します。受講者様の特典として、後からいつでも使える税務・労務無料相談券(60分×2)も差し上げます。会社の「これから」のために、ぜひご参加ください。

セミナーチラシ(PDF:143KB)はこちらをクリックしてください。

※ご参加の方に「ストップ!会社の労務トラブル」「ストップ!会社のコンプライアンス違反」「最新助成金情報」の小冊子セットをプレゼントします。

※セミナー修了後は、ご希望の方と講師との懇親会も開催します。親しくお話しする中で、裏技もどうぞ聞き出してください。予約は不要です。当日、参加のご意志をお知らせください。

日時:平成24年12月4日(火) 14:00-16:30(受付13:45~)
場所:金山センタープレイス8階 ネットアーツ会議室(名古屋市中区金山1-14-18)
費用:税込み3千円(当日支払)
対象:中小企業の経営者様・総務部長様

講師

【川口士郎】税理士、M&Aスペシャリスト、経営管理士。川口士郎税理士事務所所長 実務経験40年の経験を活かし、財務・経営面でのベストパートナーとして、経営者の皆様のお役に立ちたいと願っています。

【佐藤文子】特定社会保険労務士、ファイナンシャルプランナー。びいず社労士FP事務所所長 開業12年、多くの顧問先様の労務管理と人事制度の構築に取り組んできました。社員研修もお任せください。

2012年3月4日

楠田丘先生の特別講義

Filed under: 人材育成,労使関係 — @ 9:51 PM
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楠田丘先生といえば社労士で知らない人はいないくらいの大先生。ご高齢のため最近は講演を控えていらっしゃったのですが、私の所属する日本人事総研のセミナーでお話しいただけるとあって昨日上京しました。
テーマは2つ、「2012年賃金交渉の展望」と「人材社会学の提唱」です。前半は賃金決定の理論を踏まえて今年の春闘を予想するもの、後半は昨年11月に発行された先生の著書「人材社会学」の概説でした。
賃金決定は、生産性を上限とし、生計費を下限として行われますが、今年は生産性より生計費の方が高い数字になってしまう特殊状況です。このような場合には労使の「譲歩均衡点」をはさんだ「譲歩均衡領域」で決定されることになります。今日本にとって必要なのは内需の拡大ですから、均衡点より高い「積極的領域」の中で決まるのが望ましい、というのが先生のご意見でした。
後半は、市場経済学偏重ではなく人材社会学の整備充実が求められるというものです。「人材の高度な育成」と「人材を基準とした経済(W)、社会(L)のバランスの取れた人間性にあふれた安定的成長」こそが人材政策のあるべき姿であると、先生は60年間考えてこられました。戦後GHQに提出するも却下された人材社会学の理念を、いまこそ提唱したい。そしてワークライフアンバランスの解決の一つとして、人材の育成(能力主義)と活用(実力主義・加点主義)を推し進めたい、という熱いメッセージでした。
ちなみに「人材」はヒューマンリソース、「人財」はヒューマンキャピタルと訳され、育成的観点では「材」でなければならぬとおっしゃいました。なんとなく使っていたことを恥ずかしく思いました。
今月90歳を迎えられる先生によれば、知力は100歳まで、体力は90歳まで、気力は150歳まで持つそうです。私にもまだまだ先がたくさんありそうで、元気が出ます。休憩時間に「写真を撮ってもいいですか」とお尋ねしたら、ぜひ並んで撮ろうとおっしゃいました。「人材社会学」にも、手が震えてうまく書けないけどととおっしゃりながらサインをしてくださいました。多くの受講生が写真やサインを求めていました。
また、講義前にホワイトボードの文字の大きさのチェック、講義中に予定時刻のチェックをされるなど、講師としての基本的な姿勢をいつまでもお持ちなのにも感動しました。昔のビデオで見たのと同じきりっとした話し方で、声もよく通ります。「目も見えなくなってきたし、手も震えるようになってしまったし、歩くのも不自由になってしまった」とおっしゃるとおりのご様子なのですが、お声だけ聞いていたらきっとわからないに違いありません。

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2012年2月24日

採用面接にもコンピテンシーを

Filed under: 人材育成 — @ 8:12 PM

せっかく入社しても1週間でやめてしまう、即戦力と思って採用したが買い被りだった・・・そんな悩みも中小零細では多いものです。応募者が少ないから、すぐに人手がほしいから、どうせ使ってみないとわからないから・・・といって面接をおろそかにしていませんでしょうか。
ミスマッチな人を入社させてしまうと、本人も会社も不幸です。選ぶ余地を増やすためには応募者を増やすということですが、それには多少お金を使わねばと思った方がいいでしょう。それについては別の機会に書きたいと思います。
うちの事務所は私とパート事務員1人だけの零細ですが、その事務員一人を雇い入れるのに非常に慎重に選考を行った結果、長続きしてもらっています。適性テストを重視し、私の弱点を補完してくれる人を採用したのがよかったと思います。ただ、自分自身が面接に戦略を持っていなかったため、適性テストなしでは正しい答えが出なかった可能性が高いです。
これから人を採用するときは、ほしい人材モデルに合わせた質問を用意して臨みます。
では、どんな質問を? 「コンピテンシー面接マニュアル」によれば「再現性ある過去の成果」つまり過去の行動を見ることによって「その人が未来に成果を生み出すであろう可能性」を図ることができるような質問です。今月、人材採用コンサルタントの石塚毅さんのトレーニングを受けてきましたが、本書には重なる部分もあり、理解が深まりました。会社と応募者が、化かし合いでなく、互いのいい関係を作れるような面接を、私がサポートできたらうれしいです。

コンピテンシー面接マニュアル
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川上 真史

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