心が喜ぶ働き方を見つけよう

 仙台で立花貴さんの講演を聴いた。以下その概略である。キャリアを頭で考えるのでなくて、感じるままに動いたら心が本当に求めているものが見つかる。きっとそのとおりだ。今のように変化の早い時代、直線的なキャリアを描いてもうまくいかないことが多い。震災を通して生き方が変わった立花さんのお話に感動した。
 立花さんは仙台出身、就職は東京で伊藤忠商事に入る。彼の大学生時代、就職活動前に書いた35カ年計画つまりキャリアプラン。10年会社勤めして起業、後の25年は世の中の役に立つ仕事を4つして、59歳の時にはこうなっている・・・仕事の地位、家族、やりがい・・・未来像を文章にしていた。彼は事実伊藤忠商事を10年で辞めて起業し10年、計画に沿って進んでいるように見えた。しかし彼自身は違和感を感じていた。そんなときに東日本大震災が起こった。彼は母と妹の安否を確かめるためすぐに実家に帰った。そこは津波危険エリアで行政が立ち入らない区域であった。ゆえに水や食料がこない。すぐに東京に帰るつもりが、ボランティアなどしたこともなかったが、居残って炊き出しをはじめた。
 石巻市は人口4300人であったが震災後1300人になった。雄勝地区は3階建ての雄勝中学校を津波が超えたところである。3月11日のその日は卒業式で、午後は生徒は学校に残っていなかった。津波がきたら山に登れとの教えを守って、生徒51人は奇跡的に無事だった。ただ、多くが孤児となり、2年たった今でも20kmも離れた高校を間借りして授業を行っているという。
 そんな雄勝中学を応援してほしいと、立花氏は要請される。雄勝中学の校長だった佐藤氏はちりぢりの仮設住宅にいる在校生を8日間かけて安否確認した人物だが、彼が立花氏に中学生の給食を頼んだのだ。立花氏は「覚悟を決めた」その姿に打たれて、半壊状態だった実家で奇跡的に無事だった台所を使い、毎日100食を片道2時間半かけて届け始めた。
 雄勝中学にはほかにも応援団があった。元リクルートの藤原校長、林真理子氏、黒木瞳氏・・・物資の支援だけでは足りない、心の支援ということで専門的な授業を夏期講習としてやってくれた。子供たちの中に、何かに答えたいという心が芽生え始めてきたように見えた。そんなころ、「復興輪太鼓」を始めた。もともとやっていた和太鼓は学校もろとも流された。今あるもの・・・流されてきた車の古タイヤ・・・それにビニルテープを張って太鼓にした。講演時の映像ではないが、こんな音だ。

古タイヤだから本物の太鼓の音ではない、古タイヤの音しか出ない。しかし生徒たちのたたくその音は、悲しみ、怒り、希望、感謝・・・すべての思いがこもった音だ。それが周囲の心を揺さぶった。復興輪太鼓の響きは広がっていった。2011年東京駅リニューアル式典・・・もともと東京駅の屋根に使われていたスレートは雄勝の石だった・・・、その式典で太鼓をたたいた。聞いていたドイツ大使館の外交官の計らいで、2012年3月ベルリン公演。このときの模様はサッカーの長谷部選手のブログにも書かれている。インタビューに答えた中学一年生の言葉が実に堂々としていて、「たくましく生きる」というイベントのテーマと重なって見えた。
 雄勝の子どもたちは、立花氏が代表理事を務める公益社団法人sweet treat 311の支援も受けている。子どもたちが、自身の手で未来を描ける日まで、支援していく。
また震災の遺児や孤児は祖母が見ていることが多い。お金の援助は来ても足りない部分がある。子どもたちの夢に対して個別に対応することが必要と感じて、やはり立花氏が常任理事を務める3.11震災孤児遺児文化スポーツ支援機構ではエンジェルの募集なども行っている。
立花氏はこのような「子供たちの未来」ともう一つ「産業」を被災地復興のために掲げている。そのために地元の漁師と立ち上げたのが「オーガッツ」という会社。消費者とともに「食を紡いでいく」ような仕事が目標だ。
2011年8月に立ち上げ2012年6月、第一期の決算を迎えた「オーガッツ」。主な商品は、牡蛎、帆立、海鞘、銀鮭だ。「そだての住人」という予約販売システムを取る。
 立花氏はその決算発表の前にこれまでの壁新聞を社員に見せて振り返った。それは、国の復興予算が全く回ってこない民間企業の叫びでもあった。被災地の漁業には手厚い保証がある。漁具購入費の3分の2は公費助成だし、不漁の年は過去の漁獲高の9割保証もある。漁師の捕った魚はすべて漁協を通じて買い上げ、それが国の補助につながるという金の流れだ。しかし個人の漁師には手厚い保障があっても、このスキームにはまらないそれ以外は切り捨て。立花氏は違和感を感じていた。1円でもいいから黒字にしたかった。
音楽プロデューサー小林武史の設立したap bank は、市民やNPO団体、法人による、自然エネルギーへの取り組みや環境保全など、新しい未来作りのためのアイデアや活動、プロジェクトに対し、「融資」という方法で支援している団体だが、その資金調達のためap bank fesを開催している。 2012年は復興支援のため、つま恋、淡路、みちのくの3カ所開催となった。つま恋でオーガッツは帆立千個、牡蛎五百個を売った。シンプルに焼いただけのものだ。純粋においしいことを目指している。
 わかめは春先のものをさっと湯通しすると鮮やかな緑になり、磯の香りもしておいしいのだが、これを「わかめしゃぶしゃぶ」としてIT企業の社員食堂に売りこんだ。イベント期間中のみ食べられるメニューとしてである。わかめは塩蔵にするのが一般的だが、消費者の口に入るまで中間業者を通る。採りたてを直で卸すことにより消費者から見れば同じ価格でも生産者からは6~8倍で売れることになる。
銀鮭や帆立もそのままではなく、産地で味噌漬けにして付加価値をつけることで収益を出す。付加価値の大きさは結果として雇用創出になる。
 結果、第一期は143,000円の黒字。二期目は社員も増えたがなんとか1円でも黒字を目指したいとがんばる。
震災後、目の前のことだけをやってきたら、「59歳の時のなりたい自分」と今やっていることがつながった。まるで目の前をワープしたかのように。短期間で何度も火葬場に行ったせいもある。親友も失った。拾った骨を骨壺に収め、隙間に残りの灰を収めた後ふたを押しつけるとがしがしっと音を立てて骨が砕けて小さく収まる。人間は本当にあっけない。ならば思ったままに動いてみようと思うようになった。
 東京から雄勝までは500キロ。立花氏は7人乗りのワンボックスで6時間かけて、2年で230往復し、のべ1000人を雄勝に運んだ。その間100社に人材を貸してもらおうと依頼し、2名の出向を受けた。「何かできることがあったら言ってください」という会社からは出てこない。自分事になっていない。
雄勝に運んだ千人のうちの100人は入庁1年ぐらいの霞ヶ関の若手官僚だ。雄勝で廃校を再生するプロジェクトを行った(海と山の学校)が、それも彼らの活動であった。支援活動に参加すると1日2日で元気になる。それは「生き方の本質に触れる」ことと「感謝心が増す」ためだという。
雄勝は震災前から高齢化、過疎化、少子化、産業衰退の町である。金のばらまきではなく、一つ一つの小さな事例の積み重ねが日本を大きく変える。雄勝の取り組みは日本の未来に取り組むことだ。雄勝の廃校プロジェクトで活躍した若手官僚は、民間でも「イケている」人材だ。現場感がある。こういう人材が育つ15年後、日本は変わるはずだ。
 すべてを失って何も持たなくなった人間の内側からわき出てくるエネルギーに突き動かされて動く。そのエネルギーに触れて、自分もエネルギーをチャージする。頭で考えるよりも心が喜ぶ働き方、それが人生を変え、日本を変えていく。
 最後に一言として、立花さんはこう語った。毎日当たり前のことにちゃんと感謝する。その意味で「台湾ありがとう」のCFを紹介してくれた。



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大和書房
立花 貴

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